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大阪地方裁判所 昭和31年(ワ)5224号 判決 1959年7月15日

池田銀行

事実

原告が、昭和三一年四月三日売買代金の支払いのために額面金二一、九五一円、支払人被告池田銀行上新庄支店等記載の持参人払式小切手一通(乙一号証)を振り出し売主甲に交付したところが、右小切手は金額欄が金三〇七、五〇〇円と変造されたうえ翌四日受取証枝垣保蔵名義で呈示せられ、被告銀行は右金三〇七、五〇〇円を支払つた。

それで、原告は、右支払いには次のような過失があるとして、過剰支払額と同額の損害賠償を被告銀行に求める。

(イ)金額欄および振出日欄に、インキ消を使用した痕跡および抹消前の字句の痕跡が肉眼で発見できるのに、この注意を怠つた。(ロ)本件小切手は受取証が男の名義で呈示せられているのに、現実に受け取りに来たのは女であつて、身装りも悪かつた。全三〇余万円の高額支払いをするについては当然不審を抱くべきであるのにその注意を怠つた。(ハ)被告銀行の小切手用紙はこれに記載したインキによる文字を通常のインキ消しを使用し殆んど痕跡を残さず抹消することができるけれども、他銀行発行の同用紙は痕跡なく抹消することが不可能である。従つて本件変造が通常の注意をもつて発見できなかつたとすれば、容易に発見できない小切手用紙を発行していることに重大な過失がある等四点(事実認定で否完されているものを省略する)。

被告銀行は、右過失の主張について、変造の痕跡は発見できないものであり、また、持参人払式であるから持参人に支払つたのは当然で、被告銀行には何らの過失がない等と原告の主張を否認する。

理由

裁判所は、小切手金額に変造のあつたことを認め、次のとおり変造小切手の支払いによる損害は支払人が相当の注意義務を尽していなければ支払人に賠償させるのが当然であるという考え方で判断を進めたが、支払人被告銀行には右相当の注意義務を尽していないとはいえないと判断し、原告の請求を棄却した。

(イ)技師Aの鑑定書によれば、「小切手は肉眼的、拡大鏡的に見る概見には、記載の漢数文字が稍々渋滞気味に運筆された外は特異な点はないが、紫外線射下において調査すると、額面欄振出年月日の部分に著明な変化があつて小切手額面欄に記載の文字は以前の文字を消して書き改めたものと直ちに認めることが出来ないが、消液様物の塗布痕跡は充分之を認めることが出来た」と記載せられている。右によれば一応被告のいう如く変造の痕跡は認め難かりし如くである。しかし果して右鑑定書記載のとおり肉眼でその異常を発見することが出来なかつたであろうか。……仔細に見ると右「文字部分」中「円」の地肌は著しく濃く変色していて何等かの工作の跡が顕著であり、右部分の背後に当る受取証の板垣保蔵の署名中「保」の「イ」がやや滲状を呈している。此の点を指摘された鑑定証人Aは「私が鑑定した当時これを確認はしておりませんが、当時このしみがあつたとすれば見落す筈はないと思います。あれば鑑定書に書いた筈で私の鑑定後変化したのかも知れません。紫外線を照射すると後になつて若干紙質を侵すことがあります」と証言している。……しかし他の証拠を総合すると、当時既に肉眼で異常を発見出来ないこともなかつたと認められ、従つて鑑定人Aは鑑定に当つて之を見落したと認められるけれども、同時に同証人の如き変造発見を業とする者さえ見落す程巧妙に変造されていたと認めるのが相当である。然らば本件程度の異常があつた場合これを看過して支払いをした銀行は責任を負うべきであろうか。小切手法第三五条には「裏書し得べき小切手の支払いをなす支払人は裏書の連続の整否を調査する義務あるも裏書人の署名を調査する義務なし」と規定せられ、小切手法上支払人の義務として定めあるのは一応これ丈である。署名印章の冒用による偽造等に一々銀行が責任を負うとせば、銀行営業を脅威にさらすことになるであろう。更に成立に争のない乙第二号証(被告銀行と原告とが締結した当座勘定約定書)によれば、その一一項において「お届けの印鑑と照合して相違ないものと認め、小切手・手形を支払致しました上は、御印章の盗用、小切手の偽造・変造・喪失その他どのような事故がありましても、当行はその損害を負担致しません」と定め、一応本件の場合においてもその責任を免るる如くである。しかし小切手法第三五条に該当する場合は格別、その然らざる本件の如き事故においても銀行は尚右約款により責を免れ得るものであろうか。銀行は日常多くの小切手を取り扱うから勢いその真偽の鑑別は一般人より特に敏感かつ習熟していると見なければならない。小切手において最重要部分は署名と額面であつて当然その部分は銀行員によつて熟覧せられたものというべく、銀行と取引をなす顧客は銀行の専門家としての鑑別に多大の信用をおき安んじてその全財産を委ねているものであるのに、銀行がその信任に反して事故に一切責なきものとせば顧客に一大脅威を与えること必定である。銀行と預金契約をなす者、当座勘定契約を結ぶ者は悉くその約定書等に詳細に印刷せられおる契約条項を一々精続納得して契約を結んでおるであろうか。むしろ不動産文字部分は注意していないのが大部分であつて、従つて右条項部分は一応は契約として有効であつても、その一般法規と違う例外的の記載は不動文字による例文と認めるのを相当とする場合が多いと解するのが相当であろう。従つて支払人たる銀行に過失があつて預金者に損失を与えた場合は之れが損害を賠償すべきは当然であるが、本件小切手は原告の振り出した「金二万一千九百五十一円」の小切手が何者かによつて「金三十万七千五百円」の小切手に変造せられたのであつてその損害は結局何人が負担するのが適当であろうか。

本件小切手の変造が当時仔細に注意すれば肉眼でも異常を発見出来た筈であることは前段認定の通りである。しかしその程度に至つては偽造の鑑定を専門とする警察係官でさえ見落した程巧妙に変造改ざんされていたこと是前段認定の通りである。以上預金者の委託によつて単にその持参人に払出をしたに過ぎない銀行にその程度までの注意義務を、法は要求していないと認めるのが相当であつて、一見変造の跡明瞭であるのに支払いをして仕舞つた様な場合は格別、本件の様に紫外線照査して異常の明らかになる如き高度の変造にまで注意を払わなければならないとしたら銀行業務の遂行に支障を生ずること必定で、署名調査義務を免れしめた小切手法第三五条の法意からしても本件の如き発見困難な変造については過失の責を追求することは許されないと認めるのが相当である。

(ロ)次に原告は本件小切手は男名義で呈示されたのに現実に受取に来たのは女で身装も悪かつたので不審を抱くべきであつたと主張する。証拠によると、板垣保蔵名義で女子が支払いを求めに来た事実を認めることが出来るけれども、通常銀行窓ロ等においては一々本人なりや代理人なりやを確かめ、委任状の提出を求める如き煩雑な手続を要求しないのが一般慣例で、殊に持参人払の小切手等については特に簡易迅速に処理せられていることは当裁判所に明らかな事実であるから、男名義で女が受取りに来た一事を以て特段の注意義務を主張する原告の主張は当らない。

(ハ)次に原告は被告銀行発行の小切手用紙はこれに記載したインキによる文字を通常のインキ消しを使用し殆んど痕跡なく抹消することが出来るけれども、他銀行発行の同様用紙はインキ消しを使用しても痕跡なく抹消することは不可能である。従つて本件変造が通常の注意を以てしては発見出来なかつたとすれば容易に変造し得る小切手用紙を発行することに銀行として重大な過失があるから被告に対し本件損害の賠償を求めると主張するのでこの点について考えるに、証拠によれば被告銀行の小切手用紙にインキを以て記入した文字は市販インキ消しを以て容易に痕跡を残さず抹消することが出来るが、住友銀行の小切手用紙は変色し散つて痕跡を残存したことが認められる。小切手金額等の変造は坊間往々して行なわれるから、銀行としては当然その危険防止に深甚な注意を払うべきであつて、本件変造が鑑識の専門家すら見遁す程巧妙に行なわれたのはインキ消液を使つても比較的痕跡を目立たしめず抹消することが出来たからであつて、尠くとも住友銀行の用紙に比して劣悪な用紙であつたと認められる。従つて被告銀行が小切手用紙の紙質についての配慮が十分でないことが一応認められるけれども、他銀行が尠くとも大半住友銀行程度の用紙を使用していることの立証がない限り、未だ被告銀行の過失とは断定し難いのでこの点に関する原告の主張も採用し難い。

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